プロ野球ファンなら、あの瞬間を鮮明に覚えている人も多いはず。
2010年の日本シリーズ、最後のマウンドを託された男——千葉ロッテマリーンズの伊藤義弘投手。
見事な投球で日本一を決め、胴上げ投手として宙を舞った。
あの笑顔、あの涙。そのすべてが、まだ昨日のことのように思い出されます。
そんな伊藤さんが、2025年10月6日、福岡市内での交通事故により43歳の若さでこの世を去りました。
あまりにも突然すぎる別れに、野球ファン、教え子、関係者の間に深い悲しみが広がっています。
■ プロフィール:伊藤義弘という男
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 伊藤 義弘(いとう よしひろ) |
生年月日 | 1982年6月2日 |
年齢 | 43歳(享年) |
出身地 | 福岡県福岡市 |
身長・体重 | 179cm・80kg(現役時代) |
投打 | 右投右打 |
球団 | 千葉ロッテマリーンズ(2006〜2016) |
直球勝負の気迫あふれる投球で、ファンからは「炎のリリーバー」と呼ばれた伊藤さん。
その誠実な人柄とチームへの献身的な姿勢は、多くの後輩に慕われました。
■ 学歴と野球への道
- 福岡市立城南中学校
- 東福岡高等学校(強豪・甲子園常連)
- 武蔵大学経済学部(東京新大学野球連盟)
大学時代は決して派手な成績ではありませんでしたが、堅実な投球と努力の姿勢で注目されます。
社会人のNTT西日本を経て、2005年ドラフト3位でロッテ入り。
福岡出身の無名右腕が、プロの舞台で花開きました。
■ 経歴:胴上げ投手から教育者へ
● プロ野球時代
2006年のデビュー後、セットアッパーとしてチームを支え続け、
2010年には日本シリーズで胴上げ投手に。
一方で、2011年には日本ハム・陽岱鋼選手の折れたバットが足に直撃するという不運にも見舞われます。
これが引退への伏線となり、2016年に戦力外通告を受け現役を引退。
その後、彼は“第二の人生”を自ら切り拓きます。
● 教育の道へ
引退後、日本体育大学大学院に進学し、教員免許を取得。
2020年からは母校・東福岡高校の野球部監督に就任し、
「技術よりも心を育てる」指導を貫いてきました。
さらに2025年9月には、自身の野球アカデミーを立ち上げ。
“教える喜び”に満ちた日々を送っていました。
まさにこれから——。
そんな矢先に訪れた悲劇でした。
■ 事故現場はどこ?
事故が起きたのは、福岡市城南区鳥飼(とりかい)の交差点。
時間は2025年10月6日 午後2時15分ごろ。
信号機のある交差点で、伊藤さんが運転するバイクと、タクシー(75歳男性運転)が出合い頭に衝突しました。
現場は交通量が多く、住宅地と商業施設が入り混じる地域。
地元住民によれば、見通しの悪い角度の交差点も多く、「事故が起きやすい場所」として知られていたといいます。
伊藤さんのバイクは大破し、すぐに救急搬送されたものの、午後4時ごろ死亡が確認。
警察は現在も事故の詳しい原因を調べています。
衝突の衝撃は相当なもので、即死または外傷性ショックによるものとみられます。
■ 結婚相手:支え続けた妻・沙綾さん
伊藤さんの妻は、福岡県出身の元看護師・中西沙綾さん。
二人は知人の紹介で出会い、2009年に結婚。
妻は「アスリートフードマイスター」の資格を持ち、
現役時代は栄養や体調面で支え続けていました。
戦力外通告を受けたときも、
「野球は終わっても、あなたの人生はまだこれから」と
そっと背中を押したのが沙綾さんだったといいます。
彼女の存在なくして、教育者・伊藤義弘は生まれなかったでしょう。
■ 子供:3人の父としての顔
伊藤さんには3人の子どもがいます。
- 長男:朝飛(あさひ)
- 長女:夏音(かのん)
- 次男:遥飛(はると)
家庭では優しい父親であり、どんなに忙しくても子どもたちとキャッチボールを欠かさなかったそうです。
教育者として、そして父として——「子どもたちの未来を信じる」ことが、彼の生き方そのものでした。
■ 教育者としての理念
伊藤さんは、教え子たちにこう語っていたといいます。
「野球がうまくなるよりも、人として強くなれ」
勝つことよりも、努力の大切さ、仲間を思いやる心を教える。
まっすぐで情熱的なその指導スタイルは、生徒たちの心を動かしました。
彼の教えを受けた高校球児の一人は、SNSでこう綴っています。
「監督は、怒る時も本気で向き合ってくれた。
だから今も、監督の言葉を思い出して前に進めます。」
その姿勢こそ、伊藤義弘という人間を最もよく表しています。
■ 終わりに:全力で生き抜いた43年
野球選手として、監督として、そして一人の父として——。
伊藤義弘さんは、常に全力で人生を駆け抜けました。
プロ野球の華やかな舞台を経験し、
教育という新たな道を歩み、
再び夢を追う子どもたちに希望を与えようとしていたその瞬間に——。
その情熱の炎は、あまりにも早く消えてしまいました。
けれど、彼が残した“まっすぐな生き方”は、
確かに多くの人の心の中に生き続けています。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
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